3市町村連携企画「本合海~古口~清川を巡る」モニターツアー開催

 松尾芭蕉が1689年東北に訪れた時、新庄市本合海から船に乗り、新庄藩と庄内藩の藩境にある戸沢村古口で通行手形を確認し、庄内町清川で降りるまで最上川の舟で下りました。その時詠んだ「五月雨を あつめて早し 最上川」は、とても有名な句です。ゆかりの3地域を巡るモニターツアーを企画しました。山形県内から8名、県外から5名計13名の方々に参加いただき、朝は最上地方特有の霧がかかりはっきり見えない天気でしたが、昼間は穏やかな天候にも恵まれ、ガイドの話しを聞きながらツアーを満喫されました。

① 八向楯跡、矢向神社、金子兜太・皆子句碑

八向山の前に建つ鳥居の前では、本合海の名前の由来や八向盾(城)・矢向神社・源義経など歴史に話を
されました。金子兜太・皆子句碑の前では、兜太氏にまつわる話や句碑に使われた石の話をされました。

② 本合海大橋

「橋の欄干には 3 種類のレリーフがあるので見つけてください」と話されたので、レリーフを探しなが
ら渡りました。レリーフは、新庄まつりの「神輿渡御行列」「山車(やたい)」と、「最上川を下る芭蕉と曾良」でした。渡る前にガイドの方が話されたので、じっくり見ながら参加者は橋を渡っていきました。

③ 渡船場跡

旧本合海大橋が昭和 9 年に架橋されるまで対岸へ渡る船の渡し場があったという石碑を見ながら説明さ
れました。

④ 芭蕉乗船の地

新庄東山焼で造られた芭蕉・曽良像の前で芭蕉訪問の話しや戊辰戦争の時の西郷隆盛が訪れた話
をされました。

① 舟下り「戸沢藩船番所」

最上川が全長229㎞・日本7位・1県で完結している川としては日本1位という話に始まり、最上川の和歌の歴史・舟運・舟下りの話をしました。

② 堤防

のどかな気候になり、川沿いを気持ちよく歩くことができました。途中舟下りを終えた船にすれ違い、皆さん手を振っていました。

  1. 古口地区が形成されたいきさつや最上峡・月山信仰の登り口の一つ角川口の話をしました。
  2. 写真を見せながら水害の歴史の話をしました。足が悪い方がいたので、階段を下りて看板の前では説明できませんでした。
  3. 戊辰戦争で庄内藩降伏の下打合せが古口で行われた(古口会談)話をしました。
  4. 舟番所跡・明治天皇行在所跡の石碑前では、藩境にあった舟番所の役割と明治天皇行在所で明治天皇が召し上がられた食事の内容の話をしました。同じく、階段は下りず、堤防から説明しました。

③ 最上峡夕景の地

きれいな夕陽が最上川を挟む山間に沈む景色の写真をお見せしました。

① 清川関所内御殿茶屋
清川関所内にある御殿茶屋で、昼食をとりました。コシがしっかりした新そばで大変評判が良かったでした。写真以外にも、粕漬けの漬物があり、とてもおいしくいただき、デザートのそばぜんざいまでつきました。

② 芭蕉上陸の地、御殿林

 庄内藩の藩境にある清川は、出羽三山に向かう人や最上川を使った荷物の往来が多かったため、監視がしっかり行われていたそうです。また、最上峡から庄内平野に一気に開ける地形のため、清川だしと呼ばれるとても強い風が吹くので、1717年に3000本の杉が陣屋横に植林されました。

③ 清河神社、清河八郎記念館

明治時代の魁として名をはせた清川出身の清河八郎を祀られている清河神社と清河八郎記念館に行きました。清河八郎記念館では、館長さんから清河八郎に関する話を聞きました。武家の出でもないのに昌平黌(現東大)で学んだこと、母親とお伊勢参りに行ったこと、そして浪士組(のちの新選組・新徴組)を率いて徳川将軍を護衛して京都に行ったことなどを話されました。