「株式会社アイシン精機」 戸沢村で会社の規模を拡大したい!

事業に携わるきっかけと時期は?

 高橋社長の大叔父が50年ほど前に精密機械を製造する事業を始め、会社としての創業は、今から40年ほど前の1983年になり、愛を信じるという思いから「アイシン精機」と名付けられたそうです。戸沢村出身の大叔父は埼玉県で事業を始められましたが、高橋さんの父親も事業を手伝い、戸沢村に工場を建てられました。

 高橋潤社長は工業高校を卒業後、スポーツのインストラクターを目指すため専門学校に通われました。卒業後はスポーツインストラクターとして、戸沢村の日帰り温泉施設「ぽんぽ館」にあるプールで生徒さんに指導などを行なっていました。24才で結婚し、3人の子宝に恵まれました。好きなことを仕事にしている喜びはありましたが、将来に対する不安もあり、スポーツインストラクターを10年続けた後、大叔父や父親の仕事を手伝うことにしました。

 会社に入ってみると、製品を出荷できるまでには長い年数をかけ修行し、経験と勘に頼って作っていく昔ながらのスタイルでした。また工場内は部品など整理整頓がされてなく、薄汚れたイメージだったので、まずそのあたりの改善を図りました。誰でも同じ製品が作れるように製造工程はマニュアルを作って標準化し、似たような加工部品は数が多いので、番号を振って棚に整理して置くようにしました。

どのような商品を製造していますか?

 主にカメラの部品を製造しています。スマホの台頭でカメラ自体の需要は大幅に減っていますが、プロ向けや海外向けに一定のニーズに支えられていて、多品種少量生産体制で取り組んでいます。1/100㎜までの精度を求められる品質短納期に対応する製造・出荷体制を強みにしています。最近は、半導体の部品の製造依頼が多いので、少しずつ対応できるようにしています。

ご苦労は?

 2016年に会社を引き継ぎ、代表取締役になりました。会社を大きくしたいという気持ちがあるので、仕事の情報をどうキャッチするかです。

新しい仕事をどれだけ増やせるかがカギなので、アンテナを張ることや人脈作りに心がけています。そしてその仕事を受けるためには、新しい機械の導入が必要になってきます。現在の工場スペースにほとんど余裕がないため、工場の移転や機械の導入など新たな投資が必要になってきているので、需要の見極めがすごく重要で一番の悩みどころです。戸沢村で生まれた私としては、戸沢村で事業を拡大していきたいという強い気持ちがあるので、そこも意思決定するうえでハードルが高くなっています。

 もう一つは、今まで屋台骨を支えてきた人たちが定年時期を迎え、製造のスキルの維持を保つことです。長く働いてきた人たちは経験を武器に仕事をしてきている部分もあるので、経験をいかに標準化していくかだと考えています。

今後どのような人材を望みますか?

お客様・従業員・地域とのつながりを大切にして信頼を築いていくことと、常に進化し挑戦し続ける創造の精神を大事にしています。この考えに共鳴いただき、一緒に働いてみたいと思われる方がいれば、会社はオープンにしていますので、いつでもお訪ねください。

会社の近くにはニコットという食品・日用品・ホームセンターを兼ねたスーパー、そしてコンビニ・郵便局・JAバンクがあり、戸沢村の中では比較的便利です。自然はとても豊かなので、お子様含めて飽きることはないと思います。私は春から秋の時期はゴルフ・マラソン・登山、冬はスキー・スノーボードと余暇を忙しくしていますので、興味のある方にはお付き合いします。お待ちしていますので、是非一度足を運んでください。