「田中製作所」 キラリと光る確かな技術を習得してみませんか!

事業に携わるきっかけと時期は?

 山あいにある角川地区の農家の長男として生まれ、学校を卒業してからは農業をしながら、空いた時間にいろいろな仕事をしました。そして24才の時に、地元の山菜の加工会社に誘われ、それからは(農業以外では)そちらの仕事に専念することにしました。

 食品加工会社でしたが、ある時(最上地方)金山町にある通信機器の部品製造会社から、製造を手伝ってほしいという依頼が舞い込みました。そこで私が見習いとしてその会社に数カ月通い、製造部門を立ち上げることになりました。通信用の同軸ケーブルをつなぐコネクターの製造が主な仕事でしたが、最初は製造の失敗が多いため歩留まりが悪く、とても苦労しました。少しずつ経験を積み、技術を習得していき、事業を軌道に乗せることができました。  もともと食品加工会社だったので、社長から独立しないかという話をいただいたので、1999(平成11)年に会社を立ち上げることにしました。

その後事業の状況はいかがですか?

 1990年代後半以降携帯電話が普及し出し、固定電話で使う通信ケーブルの需要が減少してきましたが、初期の携帯電話にあったアンテナを取り付ける部品の需要がありました。しかしその後、携帯電話にアンテナがなくなっていったので、他業種でのニーズの情報を、材料屋さんや工具屋さんからお聞きし、動力系・流体系・油圧系・空圧系の装置部品にシフトすることにしました。製造する種類が多く・数が少ない、いわゆる多品種小ロット生産体制になりました。部品の設計図を見ながら、プログラムを組み、機械を使って自動的に加工するという仕事の流れですが、数百点に及ぶ部品の生産体制を築くのは大変でした。軌道に乗せるまで2~3年かかりました。

 材料はあらゆる特殊材を使うためそれぞれ硬さが違うので、材料を加工する時の削る速度を調整するところが大変です。ここが一番、熟練度が必要となります。

 最近はいろいろな相談が持ち込まれてくるのが面白いです。釣りで使用する仕掛けを自分で作る時の道具の部品を製造することができるか考えると楽しくなります。

今後どのような人材を望みますか?

 図面を見て、プログラムを組んで、部品を製造するところまで、1人で行います。二次元(図面)から三次元(製品)にすることなので、プログラミングをしていくところが、一番苦労します。そして一人で3~4台の機械を担当しますので、1人前になるためには最低3年かかります。

 戸沢村は最上地方に位置しているので雪深いですが、その雪が自然の恵みを育んでいます。一番は「山形県は空気日本一」と言われ、PM2.5というとても小さな粒子状の物質の測定値が47都道府県の中で一番低くなっています。我々は毎日過ごしているので感じにくいですが、都会からくると空気のおいしさを味わっていただけると思っています。春の山菜・秋のキノコをはじめ、食材は豊富で安く手に入り、おいしく味わうことができます。春・夏・秋・冬ごとに自然のすばらしさがあり、冬になると雪かきは必須ですが、幻想的な風景が広がります。そんな自然を楽しみながら仕事を覚えていく生活はいかがでしょうか?

 いつでも工場をご案内しますので、お気軽にご相談ください。お待ちしています。