最上川・最上峡の素晴らしさを多くの方々に味わってほしい!

事業が始まった時期は?

昭和27(1952)年に、最初の観光船「最上丸」が進水したのが始まりです。戸沢村で生まれ育った佐藤喜一氏が太平洋戦争終了後復員して、最上川や最上峡の美しさ・素晴らしさに感動し、この風景を人々に見せたいという思いから、個人で建造しました。その後村や船頭仲間の協力を得て、規模を拡大し、昭和39(1964)年に会社組織になりました。

事業に携わったきっかけや時期は?

大学卒業して4年ほどホテル業界で勤めた後、昭和52(1977)年に入社しました。もともと戸沢村出身で大学から村外に出ていましたが、会社に入ったのを機に地元に戻りました。会社すべての業務に携わりながら集客に知恵を絞り、会社に貢献していき、平成11(1999)年に社長となりました。

事業の売りは?(商品など)

 何と言っても、最上川・最上峡です。山形県の歴史・文化を語るうえで、欠かせない重要な資産に多くの方々が訪れ、触れてもらう取組みを具現化していくことに尽きると考えています。春夏秋冬それぞれ魅力がありますが、冬の雪景色の中を船で下るのが一番の魅力だと考えています。1975年には雪見船の導入をはじめました。今はこたつ船の名前で12月~3月にかけて運行していて、特に正月には大変多くのお客様が訪れます。

個人客の多くは車でお越しになられるので、下船後に乗船場までスムーズに戻ることができるように、平成7(1995)年に自前でバスを走らせるため、一般乗合バスの免許を取得し、子会社最上川交通を設立しました。その後、旅行業の免許を取得し、舟下りを中心に旅行商品を企画し、集客により力を入れています。

そして、観光中部に位置する堤川(チェチョン)市との農業の技術交流からスタートし、婦人交流・児童交流・国際結婚へと進展し、お互いの文化を共有する村づくりを目指し、平成9(1997)年に韓国を体験する建物として建てられた道の駅とざわ「モモカミの里 高麗館」の運営・管理に、平成20(2008)年携わることになりました。戸沢村にとって重要な観光拠点の道の駅であること、人の交流を図ることで相乗効果を出せること、などの理由で引き受けることにしました。韓国情緒あふれる建物の店内には、ここぞとばかりに狭いほど韓国の商品が並んでいます。これは現在の道の駅の駅長さんが建物に合わせた商品ラインナップにこだわり、遠方からお客様を呼び込もうとしているからです。駅長さんの努力の結果、売り上げを拡大させています。

ご苦労は?

コロナによる客数の落込みは、長期にわたっているので一番大変です。私が社長になった中で最大のピンチだと思っています。逆境の時こそ、足元を固め、事業を愚直に行なっていくことが重要と考えています。私どもの経営理念は、「輝く最上峡の舞台で、日本一の感動を創り、関わる人々と喜びを享受する」です。最上川・最上峡という素晴らしい自然をもう一度原点に戻り、PRしていこうと考えました。

 コロナが起きてから、いろいろな助成金や補助金を活用して事業を積極的に再構築していく状況が生まれてきているので、私どももその流れに乗り、酒田舞子とタイアップした最上川花街舟や大会で優勝した民謡歌手が乗船する最上川民謡舟などを走らせ、話題づくりを行なっています。

 最近では、2022年12月にオープンした宿泊施設「R:MOGAMI」に力を入れています。最上川沿いに独立した6棟の建物で、セミセルフサービスを基本にしたリラックスできるプライベート空間を提供しています。お風呂からは最上川の絶景景色を独り占めできる間取りと、部屋タイプによってはサウナ付きとなっています。泊まったお客様からは、ゆっくりできた、リフレッシュできた、サウナに入った後雪の中に体をうずめて気持ちが良かったなど好評です。

今後どのような人材を望みますか?

 グループ全体で現在50名ほどの従業員がいます。今まさに次世代の経営を担える人材を探している所です。現業をすべて習得していただきながら、仕事を覚えていくことはもちろん働いている皆さんの信頼をまずは勝ち得てほしいと思います。そのうえで経営理念に基づき、素晴らしい価値のある最上川・最上峡を活かした新たな取組みにチャレンジしていこうとする気概のある方を望んでいます。ぜひメンバーの一人として一緒に仕事をしてみませんか?